リフレッシュの時間

自分の思いつくままに、好きなことを書いています

ピース

台所で夕ごはんを作っていたある日、
「ママ、できたよ!!」
と、娘が、うれしそうな声でこっちを見ていた。

娘は、私の方に向かって、右手の人差し指と中指を立ててピースをしていた。

今までずっとできなかったピース。
2歳になっても、「2歳です」と指で表すことができずに、ずっと長い間本人はもどかしく思っていたのだろう。

そのうちできるようになるよ、と私が諭しても、「できない」と半泣きだった半年間。
ようやくできるようになって、心から嬉しかったのだろう。それから一週間はことあるごとにピースをしていた。

いつも読む絵本もわざわざ誕生日が出てくる絵本を選んで、誕生日おめでとうのページが来ると、すかさず
「○○ちゃん(自分の名前)、にさいです!」
ピース!とやって、満足げなのだ。

そんなにうれしいことなんだね。健気でかわいらしい。

こんなかわいい出来事がある一方で、自己主張が激しくて、それが一過性のものとはわかっていても、こちらとしてはなかなか思い通りに事が運ばないことにうんざりするし、疲れてしまう。

今日だって、保育園から帰ってくるなり、
「おやつがたべたい」
「ごはんはいやだ」
と言い出した。
あの手この手でごはんを完食させると次は、
「おふろいやだ」
「シャワーもいやだ」
入りたくないの一点張り。何度説得しようとしても、泣き叫びまくるばかりで、近所には虐待でもしてるかと誤解されそうなぐらいだ。
入浴を強い口調で強要もしていないのに、私が一人でお風呂に入ろうとすることさえ泣き叫んで阻止しようとする。

泣きわめきながらの入浴を終えたあと、ひと休みすることなく、
「しまじろうがみたい」
と言い出した。
寝る前にテレビ(DVD)を見せたくない私は、「えー」と困った顔をするが、
「みたい!」
と、次はそれしか言わない。
寝る前に感情を高ぶらせて全く寝るモードになってくれないのは困るので、仕方なく見せることにした。

そうすると、今日のところは、そのDVDを一通り見て満足したのか素直に布団に入ってくれた。

私の方は、仕事の疲労とこの対応で疲れはててしまい、
「もう、困らせないでね。ママは悲しいよ」
と、娘に言うと、娘はじーっと何とも言えない表情で私を見つめていた。
何か言ってくれるのか、と、幼い娘に期待しても、何も言わずただ無言で私を見つめて、眠くなっているようだった。
私がそっぽを向いて添い寝していたら、
「ねえ、まま、まま」
と、小さい声で「振り向いて」と訴えてきた。

頭ではわかってはいる。こういう時期なのだ。自己主張を通したい時期なのだ。私が我慢さえすればいい。思い通りには行かない。事はスムーズには進まない。親は疲れるけど、娘の心の成長には重要な時期なのだ。

親の思いを汲み取る、ものわかりのいい子に育ってほしいわけではない。自分の思いを言葉で表すことができるようになること、我を通そうとすること。人格を形成する上で非常に重要なことなのだ。

とはいえ、子どものワガママの言いなりになるのは良くない。単なるワガママな性格になるだけだ。我慢をさせるときは我慢を覚えさせ、必要なときはその自己主張を認めること。このバランスが難しい。

常に、視野を広く持つこと。目の前の出来事にとらわれないこと。

娘は私を困らせようとしているわけでなく、自分の思いを主張しているだけであること。
精神的な試練を与えられているようにさえ感じる毎日だけど、何より娘の笑顔に自分の人生が支えられていることを決して忘れてはいけないと思う。