リフレッシュの時間

自分の思いつくままに、好きなことを書いています

上村松園展と国立近代美術館・常設展

東京国立近代美術館で開催中の、上村松園に行ってきました。
 
上村松園(1875-1949)は、京都出身・明治生まれの女流・日本画家です。
女性を高尚に美しく描きたい、と数多くの「美人画」を描きました。
なので、この美術展ではまさに「女性、女性、女性・・・!」女性の絵ばかりでした。「女」というより「女性」です。
たまに子どもを抱いた優しい母親の姿もありましたが、圧倒的に気品ある(気高い)女性が多かったです。
 
代表作はこれでしょうね。圧倒的な存在感がありました。イメージ 1
『序の舞』 上村松園
1936年  重要文化財
非常に大きなサイズの日本画で、他の作品に比べて圧倒的な存在感、堂々とした貫禄がありました。
上村松園が目指した、女性の気高さの描写、これを達成できたのが本作品なのだというのがひしひしと伝わってきました。解説にも「強い意志を内に秘めたこの女性像を。松園は『私の理想の女性の最高のもの』と述べている」とありました。
私は、着物の裾の色遣いが幻想的で、オーロラみたいできれいだなぁ、と眺めていました。帯も素敵です。
 
この美術展では、本当にたくさんの作品が出展されていました。
 
イメージ 2
『娘深雪』  上村松園  1914年
 
これは、浄瑠璃「生写朝顔話」(しょううつしあさがおばなし)の登場人物「深雪」という名の女性で、
右下にある扇に書かれた恋する人の歌を読んでいるときに、
他の人の気配を感じ振り向く様だそうです。
このように、上村松園の作品には、浄瑠璃謡曲を題材としたものが多く、浄瑠璃謡曲を知っていればもっとその絵の主人公の感情が汲みとれただろうにな、と思う場面が多かったです。
 
ポストカードで買った中で私が最も気に入った一枚はこちらです。
イメージ 3
『晩秋』  上村松園  1943年
色遣いなどは地味な絵ですが、この障子に模様を貼っている姿が庶民的で、身近に感じました。
障子に穴があいたときに、こうやって障子の紙を桜の形などに切って破れたりした部分に糊で貼るというのを、昔私が子どもの頃したことがありました。普段忘れ去っていた懐かしい、遠い思い出です。
 
障子とか畳とか、面倒なことは多いかもしれないけど、でも日本の昔からの物は、奥ゆかしくて味がありますよね。
 
それから、新聞で見て、実物に会えるのを楽しみにしていたけど、会えなかった作品。
 
イメージ 4
『焔』  上村松園  1918年  
 
この作品は、謡曲「葵上」を題材としたもので、
光源氏の元恋人、六条御息所の生霊の絵です。
そう言えば、「源氏物語」に六条御息所が生霊になった場面がありましたよね。
生きながらにして生霊となるほどの強烈な嫉妬。まさに表現されていると思います。
しかし、残念ながらこの作品は会期前半のみの展示で、私が行ったのは後期だったので観られませんでした。
 
上村松園の生きた時代は、明治から大正、昭和であり、急速に江戸の持つ古風な日本が失われていった時代だと思います。それゆえに、余計に、着物を着て髷を結った昔ながらの「美人」にこだわって上村松園は描き続けたのかなぁ、と思いました。
 

 
国立近代美術館の常設展にも行きました。私の大好きな岸田劉生の作品を2点ほど見れました。
 
イメージ 5
『自画像』  岸田劉生  1913年
 
岸田劉生の独特な筆のタッチが好きです。
そして、凛々しく描く特徴も好きです。
 
それから、佐伯祐三の作品。イメージ 6
 
『ガス灯と広告』
佐伯祐三  1927年
 
 
 
彼らは、上田松園とほぼ同時代に活動していた画家ですよね。
なんだかんだ言って私は岸田劉生とか佐伯祐三の画風の方が好きなんだと思います。
こっちの方が惹きつけられますし、観ていて楽しいです。なんででしょうね、それが人の「好み」なのかな。
 
日本画では、前に行った俵屋宗達長谷川等伯などではかなり感動して、今でも大好きなので、決して日本画より洋画の方が好きというわけではありません。改めて考えてみると、日本画で私が好きな作風はどれも大胆な線や色遣い、迫力があるものでした。逆に、洋画でも、繊細なものはそれほど好きじゃないです。
こうして考えてみると、自分の好みがはっきりわかってきて、それもまた面白いです。