リフレッシュの時間

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『ヴェニスの商人』

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原題:THE MERCHANT OF VENICE/Il MERCANTE DI VENEZIA
製作年度:2004年 製作国:アメリカ、イタリア、ルクセンブルク、イギリス  上映時間:130分
監督・脚本:マイケル・ラドフォード  原作:ウィリアム・シェイクスピア
出演:アル・パチーノジェレミー・アイアンズジョセフ・ファインズリン・コリンズ
    ズレイカ・ロビンソン、クリス・マーシャル、チャーリー・コックス、マッケンジー・クルック、
    ヘザー・ゴールデンハーシュ、ジョン・セッションズ、グレゴール・フィッシャー
 
【主な登場人物】
ポーシャリン・コリンズ     ジェシ:ズレイカ・ロビンソン       グラシアーノ:クリス・マーシャル
 
【あらすじ】  ネタばれ
16世紀のヴェニスユダヤ人は差別され、虐げられ、ゲットーに隔離されていた。
さらに、そのゲットーから外出するときには、ユダヤ人であるという印に赤い帽子を被る義務が課されていた。
 
金貸しを仕事としていたユダヤ人のシャイロックは、ヴェニスの商人であるキリスト教徒のアントーニオから「金を貸すなら利息を取るな。」と言われるとともに顔に唾をかけられ、侮辱される日々だった。
 
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そんなある日、バッサーニオが、富豪家であった父の遺産を受け継いだ美女ポーシャに求婚しに行くため、親友アントーニオに金を借りに来た。
財産の全てを船に積み投資をしていたため手元に現金がないアントーニオは、バッサーニオの頼みに応じ、シャイロックから金を借りることにした。
 
今まで侮辱されてきたシャイロックは、アントーニオに「万が一期限までに金が返せなかった場合には、アントーニオの肉を1ポンドいただく」という契約を結ばせる。
 
バッサーニオは、ポーシャの住む城に向けて出発したが、それと同時に、シャイロックの一人娘ジェシカが、家中の財産を持ってそのバッサーニオの仲間の男に付いていってしまう。
バッサーニオ(ジョセフ・ファインズ
 
 
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大事な一人娘とお金、財産をキリスト教徒に奪われたシャイロックは、嘆き悲しみ、恨み、苦悩した。
 
そこへ、アントーニオの財産を積む船3隻が各地で沈没してしまったという知らせが入る。
 
 
 
 
 
 
 
 
今までの屈辱の仕返し、そして、一人娘や財産を奪われた憎しみ、悲しみの腹いせに、アントーニオにその「肉1ポンド」の契約を履行させようとヴェニスの裁判所に訴え法の裁きを求める・・・。
 
アントーニオを救うため、妻となったポーシャから金をもらって裁判所に直行するバッサーニオ。
一方で、愛する夫バッサーニオのため法学博士に変装して裁く立場として裁判所に赴くポーシャ。
 
シャイロックは、裁判官に慈悲を求められても、バッサーニオに借金の倍額を提示されても全く応じようとしない。
まさに肉を切り取ろうとしたとき、ポーシャの思いつきで「血を一滴も流すな」と告げられる。
その言葉に形勢は180度逆転し、シャイロックは人の命を奪おうとしたという罪がかけられる。
そして、結果として、シャイロックは、財産の半分をアントーニオに握られ(シャイロックの死後それをシャイロックの一人娘に渡すため)、かつ、キリスト教への改宗が義務付けられるという判決が下された・・・。
 


【感想】
酷い話でした。原作は喜劇だそうですが、この映画によると悲劇以外の何物でもありません。
アル・パチーノが演じたシャイロックは、口は汚いかもしれないけど、あまりに酷い仕打ちを受けたと思います。
唾を吐かれ、日々屈辱を味わわされていたその相手であるキリスト教への改宗が命じられるなんて・・・!!
 
この映画ではそんなに描かれていませんでしたが、仮にシャイロックが金の亡者だったとしても、彼の宗教まで奪う権利はないのでは。その判決をまるで正義かのように喜ぶキリスト教徒に唖然でした。
昔の仲間がユダヤ教の教会にお祈りで入っていく姿を遠巻きに眺めているシャイロックがかわいそうでした。
 
この登場人物はろくな人物がいませんでした。アントーニオはユダヤ人というだけで汚く罵り、本当に顔に唾を吐いているし、バッサーニオは一文なしの遊び人という情けない男で、美女が目当てなんだか遺産が目当てなんだかわかりませんし、その妻ポーシャも、バッサーニオを騙し、たちの悪い悪ふざけをする始末だし・・・。この指輪関連の悪ふざけでの彼女の一連の行動、態度、表情を見て、ポーシャは悪女にしか見えませんでした。
 
途中で、キリスト教徒に向かって叫ぶシャイロックの、「ユダヤ人だって体を切られれば血を流す。あんたらと同じ(人間なの)だ!」という悲痛の訴えが、胸に響きました。
大昔からずっとユダヤ人は差別され続けてきたのですね。
宗教が生まれたときから差別が生まれたということでしょうか。
 
この映画を見た後、少し調べてみたら、どうやら、シェイクスピアの時代ではユダヤ差別が当たり前で、ユダヤ人=異教徒=悪人という構図だったようですね、それで、(おそらく勧善懲悪の)喜劇の代表作だったのでしょう。
時代が変われば、やはり作品の理解も難しくなってくるものですね。
言葉としては書かれていない「暗黙の前提」がわからないですもんね・・・。
とは言え、いくら差別が当たり前だったとしてもこのシャイロックの判決には全く納得がいきませんけどね!