リフレッシュの時間

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『ハムレット』(2000年制作)

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原題:HAMLET    製作年度:2000年  製作国:アメリカ 上映時間:112分
監督・脚本:マイケル・アルメレイダ   原作:ウィリアム・シェイクスピア
出演:イーサン・ホークカイル・マクラクランサム・シェパードダイアン・ヴェノーラビル・マーレイ
    リーヴ・シュレイバージュリア・スタイルズスティーヴ・ザーン、デシェン・サーマン、
    ジェフリー・ライトケイシー・アフレック
 
イーサン・ホーク主演の、シェイクスピア原作『ハムレットの現代版です。以前観た同じくシェイクスピアの『ロミオ+ジュリエット』(バズ・ラーマン監督)と同様に、舞台を現代に置き換え、しかしセリフはシェイクスピア原作のものを可能な限り使用しています。
 
『ロミオ+ジュリエット』とはまた話が全く違いますが、私はこちら『ハムレット』のほうが好みです。
それは『ハムレット』が作品全体で、「生きることとは何たるか」を問い続けているのと、主人公ハムレットがつぶやくセリフの一つ一つが名言ばかりで、非常に素晴らしかったからです。
 
オリジナルでは、ハムレットデンマーク王子とのことですが、この『ハムレット』現代版では、イーサン・ホーク演じるハムレットはニューヨークのデンマーク社の会長の御曹司という設定です。設定とセリフに多少違和感はあるものの、その違和感がかえって面白く最後まで退屈に感じることなく観れました。
同時に、現代版でないオリジナルの『ハムレット』をきちんと観たいと思いました。
ケイト・ウィンスレットがオフィーリア役を演じた『ハムレット』も観てみたいです。
 


話は、ブラームス交響曲第1番・第1楽章のドンドンドンドンというドラムの音とともに不穏な空気で始まります。
 
ハムレットの身に起きたあらゆる出来事は、悲惨なことばかりでした。
 
まず、尊敬していた偉大な父の突然の死。
その死からわずか一ヶ月で、母が父の弟クローディアスと結婚。
 
父の死を不審に思ったハムレットは、ある日、亡き父の亡霊の姿を見る。
亡霊は、父がクローディアスの手により毒殺されたことを告げ、ハムレットに仇討ちを求める。
 
偉大で尊敬していた父の死から、生きることに価値を見出せず苦悩していたハムレットは、亡霊は悪魔だったのではないかとさらに苦悩しながら、同時にクローディアスへの復讐心に燃えていく。
 
ある時、クローディアスが父を暗殺した証拠を入手したにもかかわらず、躊躇してしまいクローディアスを殺せなかった。そんな臆病者の自分を責め、さらに落ち込む。
 
その後クローディアスを殺そうと意を決したのだが、誤ってクローディアスの部下ポローニアスを殺してしまう。
ポローニアスは、ハムレットが愛するオフィーリアの父だった。
オフィーリアは、恋人に父が殺されたことを知り、気が狂って溺死(自殺)する。
 
何もかもが悪い方向へと進んでいく。
 
これらの出来事が次々と起きる中、ハムレットはひたすら自身に「生きることと何なのか」と問い続ける。
「生きることとは、寝て起きてを繰り返し、命が滅びることを待つことなのか。」
 
ハムレットに危険を感じるクローディアスは、ハムレットの殺害を企む。殺害の計画で催した剣術の試合で、ハムレットに毒入りのワインを飲ませようとしたのだが、そのワインを毒入りと知ってか知らずかハムレットの母が飲み、死んでしまう。
 
同時に、試合相手のレアティーズ(オフィーリアの兄)とハムレットが同時に殺し合い、死の間際にレアティーズからクローディアスの陰謀であったことを告げられたハムレットは、残されたわずかな力を振り絞ってクローディアスを殺害し、自身も死に絶えた・・・。
 


ハムレットの、私利私欲で酷く汚れた人物に対する酷い嫌悪感と怒り、愛する母に対してさえも抱く怒りや葛藤、それらのことで嘆き悲しみ、苦悩する姿が見事に描かれていました。
 
悲劇代表作だけあって、話の内容的に悲壮感たっぷりですが、おそらく、原作の脚本どおりのものは、悲壮感も絶望感ももっと重々しく、その人間の欲望や憎しみなどで汚れた心も、もっと真に迫って描かれているんだろうな、と感じました。
 
必ずしもこの現代版が軽いタッチで描かれているというわけではないのですが、設定が現代だけあって、ハムレットも一国の王子ではなく一社の御曹司であるし、国の将来を担うのではなく、ある会社の社長のもとに生まれた一青年という印象で、やはり原作よりはその重々しい空気は少し和らいでいると思います。
 
だからこそ、原作をきちんと観てみたいと思いました。この現代版は、私から見ると古典の世界の『ハムレット』を抵抗なく身近に観ることができて良かったです。
 
映画鑑賞中、オフィーリアが登場すると、ミレーの『オフィーリア』がたびたび頭に浮かびました。
 
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ジョン・エヴァレット・ミレイ  オフィーリア(Ophelia) 1851-52年 テート・ギャラリー(ロンドン)蔵
 
今までこの作品解説を読んでも、いまいちオフィーリアの立場や心境などがわからなかったのですが、この映画を観て、このオフィーリアの姿や、この絵にある数々の花々が何を意味するのかがわかりました。
 
純粋無垢なオフィーリアは、気が狂った果てに、キリスト教で禁じられていた自殺という手段を取ったのでした。
この美しい彼女の姿は、もともと彼女が持ち合わせる純粋な美しさと、悲しみゆえの狂気から生じた美しさだったわけですね。やはり、狂気と美は表裏一体ですね。

オフィーリアの死に関しては、事故死と自殺の説があるようですが、この映画では自殺という設定でした。埋葬するときに、牧師が「本当なら埋葬は許されないが、教会に許可を得てなんとか埋葬できるのだ」と言っていましたから。
 
ところで、この現代版『ハムレット』でオフィーリアを演じていたのは、ジュリア・スタイルズというマット・デイモンの『ボーン・シリーズ』でニッキー役で出演していた女優で、それまで自分がイメージしていたオフィーリアとは全く雰囲気の違う女性だったけど、気の狂ったオフィーリアを熱演していました。グッゲンハイム美術館(と思われる)で、発狂して叫んでいたシーンなどは特に迫力がありました。
 
ハムレットイーサン・ホークについては、好演していたけど、適役だったのかはわかりません。この作品でのハムレットのセリフを聞いている限り、「ハムレット」という人物は、もっと体も大きくて乱暴だが男っぽい勇ましい人物のように思えたからです。イーサン・ホークは好きだけど、一般庶民風だし(そこが彼の魅力だと思うけど!)、乱暴な面なんてあまり感じられません。怒り狂ったというより、繊細でどこか寂しげな「ハムレット」でした。まあ、イーサン・ホークが演じればイーサンの「ハムレット」があり、それが芝居の面白さかもしれませんね。