東洲斎写楽はたった10ヶ月間しか活動しなかった絵師で、その正体がミステリーとなっているそうです。
なので、作品数もそんなに多くはないのかな、などと思っていたら大間違い。後から確認したらなんと140図もの作品数が展示されていたそうです。
どおりで・・・途中から体力がついていかなくなり、最後のほうは集中力がとぎれとぎれでの鑑賞でした。
どおりで・・・途中から体力がついていかなくなり、最後のほうは集中力がとぎれとぎれでの鑑賞でした。
でも展示の仕方はなかなか興味深かったです。
2.同じ役者でも、絵師によって描き方にどう違いがあるか。
3.写楽の同一の作品でも、保存状態によってどう違うか。
褪色の様子など。保存状態がよくないものは紫が茶色だった。
4.歌舞伎の舞台ごとに、物語を登場人物の浮世絵でイメージ。
とまあ、かなり充実していました。
写楽は、蔦谷重三郎のプロデュースの下、1794年に突如28枚の役者大首絵で鮮烈デビューを果たしたそうです。
この絵もデビュー作のうちの1枚。
どの役者絵もその人物像が生き生き描かれていました。顔も大迫力だけど、手とか動作がよかったです。
写楽をプロデュースした蔦谷重三郎というプロデューサーは、当時「蔦重」などと呼ばれていた有名人だったそうです。
蔦重は吉原に生まれ、吉原の遊女の案内書「吉原細見」の出版が成功をおさめ、その後斬新な発想で数々のヒットを生み出した敏腕プロデューサーだったそうです。
今で言う、おニャン子クラブやAKB48を生み出した秋元康みたいな存在でしょうか。
蔦重は吉原に生まれ、吉原の遊女の案内書「吉原細見」の出版が成功をおさめ、その後斬新な発想で数々のヒットを生み出した敏腕プロデューサーだったそうです。
今で言う、おニャン子クラブやAKB48を生み出した秋元康みたいな存在でしょうか。
その「吉原細見」の実物が展示されていましたが、相撲の番付けみたいに一番人気のある遊女の名前が最も大きく書かれていて、順番に徐々に名前が小さくなっていました。そして、その横の展示にはその遊女の浮世絵もあり、う~ん、なかなか・・・今の時代も江戸時代もこういうところはたいして変わっていないような気がしました。
写楽は約10ヶ月の間に145枚もの作品を世に出したというのですから、凄まじいスピードとエネルギーですよね。
写楽の創り出した作品は大半が歌舞伎役者の浮世絵で、たまに子どものお相撲さんの浮世絵もあったけど、その歌舞伎役者の浮世絵を見れば見るほど、歌舞伎の世界を知っていた方がより感慨深く見れるのだろうと思いました。私は歌舞伎の世界はほぼ知らないので、舞台のあらすじと登場人物の展示などはあまり入り込めませんでした。その点では、個人的には、美人画や風俗画も数多くあったボストン美術館浮世絵名品展の方が面白かったかな。
そう言えば、『ポッピンを吹く女』、ありましたよ。この浮世絵は喜多川歌麿ですけど、蔦谷重三郎の展示のところに並んでいました。
『婦人相学十躰 ポペンを吹く娘』 喜多川歌麿 寛政5(1793)年頃
アメリカ・ホノルル美術館 所蔵
ポッピンって煙草のパイプか何かと思ったのですが、ガラスのおもちゃのことなんですね。この絵は立方体のガラスの入れ物に入っての展示だったので、相当な価値のあるものなんでしょうね。
この「婦人相学十躰」シリーズ、面白かったですよ。顔や雰囲気から女性の心情を描くというシリーズだそうで、このポペンの他にも「浮気之相」や「文読む女」があり、「文読む女」は明らかにその文はラブレターなんですよね、顔が赤くなっているわけではないけど、なぜか心躍る気持ちが伝わってきました。
他に、歌麿で「歌撰恋之部」シリーズもあり、これも「夜毎に逢恋」、「物思恋」など、恋をする女性の姿を描いたものが並んでいて面白かったです。
同一の作品でも保存状態によって色合いが違ってまた雰囲気が異なるため、東京国立博物館所蔵のものに加え、アメリカやイギリスやフランス、オランダ、ドイツなどの世界各国に所蔵されている作品も多数出展されていました。その出展美術館の海外勢を見て、浮世絵が世界各国で大切に保管され世界中の人々の目に触れられているのだと思うと、日本人でよかった~などと思い、うれしかったです。