リフレッシュの時間

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聖地チベット展 -2-

聖地チベット展の概要

 序章  吐蕃王国のチベット統一
 第一章 仏教文化の受容と発展
 第二章 チベット密教の清華
 第三章 元・明・清との交流
 第四章 チベットの暮らし

「序章 吐蕃王国のチベット統一」から

チベットの歴史でまず登場する王朝は、吐蕃王朝である。
7世紀中頃、吐蕃国王ソンツェンガンポチベット高原の諸部族を服属させ、統一王朝を創った。

イメージ 1ソンツェンガンポ坐像 チベット・14世紀 ポタラ宮
国王ソンツェンガンポは、唐の
文成公主の降嫁を求め、これにより
唐から多くの文物がもたらされた。
また、ソンツェンガンポは、文化交流
のため、隣国ネパールからも
王女ティツムを降嫁させた。
これにより、中国仏教とインド仏教が
チベットにもたらされるきっかけと
なったといわれる。
他にも、ソンツェンガンポは、
サンスクリット文字を参考に
チベット文字を作成させた。
そのため、ソンツェンガンポは、
政治的英雄・文化的英雄として、
チベット仏教では観音菩薩の化身とされている。


文成公主とティツムは、占いで、チベットの大地の下に魔女が横たわっていて、それを鎮めるため、
手足を押さえるという意味で12の寺院建立の必要があると告げ、寺院が建立される。
その魔女の図が展示されていたが、今にも暴れだしそうに横たわっている魔女の体の上に
所々(建立された場所)に寺院の絵があり、興味深かった。

こうして吐蕃に仏教が伝来し、その後チベットには古代チベット仏教黄金時代が訪れた。
しかし、9世紀中頃、王族の中で生じた排仏派が崇仏派を暗殺し、仏教伝来前からチベットにあるボン教を復活。
これにより仏教徒の怒りを買うなどして、吐蕃は分裂してしまうこととなった。

この後、チベットには群雄割拠の時代が訪れる。
西チベットの王国がチベット仏教再興を図り、再びチベット仏教が発展し始める。



前記事で、日本の仏像とチベットの仏像が様々な点で異なっている主な理由は、
その仏教の伝来の仕方にあるようです。

日本に伝わる仏教は、6~8世紀に伝来したものであるのに対し、
チベット仏教は、7世紀から13世紀まで直接インドから仏教が伝わり、
13世紀初めインドにイスラム勢力が及んだ際には、当時のインド仏僧はチベット
そのインド仏教の継承の地に見出し、盛んにチベットにインド仏教を流入したそうです。



「第二章 仏教文化の受容と発展」から

イメージ 2弥勒菩薩立像
北インド・パーラ朝・11-12世紀 ポタラ宮
この仏像は、姿勢が優美で、
インドの踊りを思い出しました。
表情も柔らかな笑みを湛えていて、
眺めているだけで癒されました。

イメージ 3

ダマルパ坐像 16世紀前半 チベット・ミンドゥリン寺

このミンドゥリン寺所蔵の坐像が、ダマルパ坐像を含め5体がありましたが、
どれも非常にユニークでそれぞれ全く違った容姿をしていて、面白かったです。

チベットの仏像は、インドの民俗宗教ヒンドゥー教も混じったインド仏教のためかどれもインド風に思えます。
額に三眼がある仏像が多いのも、インドのシヴァ神の系統につながっているものだそうです。
考えてみると、私は「インド仏教の仏像」というのを見たことがありません・・・。
インドに行けばあるのかもしれません。
インドでは仏教が絶え、チベットに継承したので、
このチベット仏教の仏像がインド仏教の仏像とほぼ同じと考えてもいいかもしれませんよね。



「第三章 チベット密教の清華」から

イメージ 4

カーラチャクラ父母仏立像 チベット・14世紀前半 シャル寺

これは正面に見えているのは女性のほうです。
この裏が男性で、男性のほうの体つきはもっとがっしりしていました。

顔もたくさんついていましたが、そのどれも全く違う表情をしていました。
腕も、杯を持っているものやら、剣を持ってるものなど色々あり、
そのすべてが意味を持っているのだろうと思いました。

方便(慈悲)の象徴である男尊(父)と空の智慧(般若)の象徴である女尊(母)が抱き合う、
この種の父母仏は、2人の合一によって到達できる悟りの世界を象徴している。
(『聖地チベット ポタラ宮と天空の秘宝』図録から引用)

この父母仏、他にも小さい種類など色々ありました。
これと忿怒像がチベット密教の大きな特徴だそうです。
忿怒像とは、忿怒の形相で恐ろしい武器を持っている仏像です。
これはインドの破壊神シヴァ神の影響があり、悟りを妨げる仏敵からの守護を意味するそうです。



密教では、法具も色々とあるようですが、その法具も多く展示されていました。
高僧の頭蓋骨で作ったという法具もあり、驚きました。確かに骸骨が半分使われていましたよ。

それから、興味深かったのは、チベットでは医学も仏教に結びついていることです。
精神の病である煩悩の苦しみは、肉体をむしばむ病気の苦しみよりも根本的な病とされる。
医学の究極の目的は、解脱による永遠の安楽にある。(図録より引用。)

チベットにさらに興味が湧いた展覧会でした。