リフレッシュの時間

自分の思いつくままに、好きなことを書いています

“わたしが子どもだったころ 『指揮者・小澤征爾』”

昨日の今頃の時間帯にたまたまTVをつけると、NHKでわたしが子どもだったころという番組がありました。
(ご参考程度に、“わたしが・・”の番組サイト→http://www.nhk.or.jp/kodomodattakoro/ )

この番組があるのを初めて知ったのですが、
昨日放送されていたのは、世界で有名な日本人指揮者小澤征爾さんで、
小澤征爾さんご本人のインタビューを織り交ぜながら、回想シーンをドラマタッチで描いていて、
面白かったので、覚書として残しておきたいことをここにメモしておきます。

小澤征爾さんの“わたしが子どもだったころ”では、
小澤征爾さんが高校生になる前あたりまでのお話を、小澤征爾さんの口から聞くことができました。

小澤征爾さんの子ども時代の特徴≫
1.お母さんの「さくら」さんが、音楽好きであった。

  担任の先生から「小澤君の勘の良さは、ピアノをやめて勉強させれば東大に行ける」と言われたが、
  さくらさんは「音楽を続けさせたいんです」と言ってピアノをやめさせなかった。

2.小澤征爾さんとその家族は、中国(満州)で暮らしていた。

  現地の人とも交流があったそうで、小澤征爾さんのお母さんのさくらさんが6年前に亡くなった時に
  昔小澤征爾さん家族が住んでいた家のところに、現地の人たちが桜を植えてくれた。
  今でも小澤征爾さんも時々訪れていて交流がある。
  中国大陸で育ったからたくましく育った、と語っている。

3.小澤少年は、ピアノをしていたが、同時にラグビーが大好きだった。ピアノはあまりうまくなかったよう。

  ラグビーは、人と人との触れ合いでわかりあえるところが好きだったそう。
  お母さんから「手を怪我するからやめなさい」と再三言われても隠れて続けた。
  ラグビーとバッハの共通点について、小澤征爾さんはインタビューで、
  やり遂げるエネルギーについて話していた。
  「体の弱かった僕は、ラグビーのおかげで指揮者の体力が身についた」と語っている。

4.ラグビーでの怪我で指が曲がってしまい、思うように弾けなくなる。

  同時期に家族が代田に引っ越し家が狭い家だったので、ピアノが家に置けなくなる。
  これを機に、ピアノの先生か誰かに相談したところ指揮者になることを勧められる。

5.母方の親戚に指揮者斎藤秀雄がいて、弟子にしてもらう。 


≪最後に小澤さんの言葉から≫(だいたい、以下のようなことをおっしゃってた。)
 「自分は、先生に、時代に、恵まれた。」
 「戦後、ピアノもない中で、指揮者を目指す人なんていなかった。」
 「バーンスタインなど、出会う人にも恵まれた。」
 「運が良かった。」



小澤征爾さん、インタビューを見る限り、大変気さくな人物で、若々しい人柄に見えました。
とても73歳とは思えないです。小澤征爾さんが指揮するオーケストラ、一度でいいから聴いてみたいなぁ~!

小澤征爾さんの指揮じゃなくてもいいから、久しぶりにオーケストラを聴きたくなりました☆