リフレッシュの時間

自分の思いつくままに、好きなことを書いています

2023年の抱負

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

新年のご挨拶が遅くなりましたが、1月4日から仕事に邁進していました。

仕事始めから早3日間が過ぎました。

 

突然ですが、私は、年々、毎日の夕食作りが大変億劫になっております。特に2022年は、本当にしんどくて、夕食を作らないといけない時間帯も当然仕事をしているのですが、夕食のことを考えると、呆然としてしまい、思考が回らなくなり、完全に自炊するのは週に1,2回というほどまで減ってしまっていました。

それ以外にも、この夕食の後の時間からも、子どもをお風呂に入れること、子どもの寝る準備と寝かしつけ・・・これらのことを考えると思考がストップして、ただただ呆然としていました。

しかし、最近、知ったのですが、料理が作れなくなるのは鬱症状の一つだという記事をネットで読んで、私のことではないか・・・と思いました。

初期の鬱症状になってしまっているのか・・・。

 

何がそんなにしんどいのか・・・、というのも、やるべきことが多すぎるのです。

保育園の送迎、子どもの習い事の送迎、それに加えて、仕事はフルタイムの業務量で、いくら時間があっても足りないのです。

いつも、「3日徹夜すればかなり片付くのになぁ」と思うのですが、コロナがはやり始めてからは、免疫力を落とさないことを最優先にしているので、徹夜や深夜まで仕事をすることは極力控えるようになりました。

それでも、どうしても仕方がない時は、夜中2時3時頃まですることもあります。

 

もう少し休んだほうが良いと思うのですが、それがなかなかできません。

業務量は、今年は2022年より結構減ったと思うので、幾分かはましになっていると思います。

もう少し、悠々自適に過ごしたいと思うのですが、どうしても人手が足りません。

 

今でも、ボーっとしてしまうことはよくあります。目の前にやるべきことが多すぎて、頭がおそらく混乱状態になっているのです。

自分の中で、リストを作って、ゲームかのように、そのリストを一つ一つこなすことで処理していくこともあります。それで頭が整理されてスッキリしたりします。

 

しかし、そもそも、この私の仕事自体も、やることが多すぎるのです。

毎年毎年税制改正があり、年々税制は複雑になるばかりで、それを平たく説明できるようにしなければならないので、常に研修を受けて勉強している状態ですし、それだけでは顧客満足度に繋がっているかわからないので他のことを試行錯誤してみたり、だからといって、顧客が自分から離れないという自信になるわけでもないので、すべての顧客についてアンテナを張り巡らせているような状態です。

 

これについては、業務時間中に習い事関係など子ども対応等に追われるなどして、自分の業務の効率が悪いということもあると思うので、もう少し方法について再考しないといけません。

 

一方で、子どもは、割と順調に育っていってくれています。

昨年12月24日に、夫が子どもらを連れて夫の友人のクリスマスパーティーとやらに行ったので、ふいに私に一人の時間ができました。家の片づけ等をした後に近くに買い物に行ったのですが、その買い物に行った本屋の前に、占い師ブースがあったので、クリスマスということもあり、遊び半分で、飛び入りで占いをしてもらいました。

結構なおばあちゃんで、生年月日で占う占いでした。

私が仕事についての不安を話すと、「来年以降は大丈夫でしょう」と言い、時間が余ったので、子どもの心配について占ってもらうと、上の子と下の子それぞれの生年月日からそれぞれの性格を言い当てて、その上で、

「どちらのお子さんも、何も心配することはありません。上のお子さんは優しい性格で、面倒見も良くてしっかりしているから、むしろ干渉しないで見守るほうが良いのです。下のお子さんも、頭の回転が速いタイプで、この子も、自然と自分のことは自分でするようになっていきますから、何も口を挟まなくて良いです。」

とおっしゃっていました。上の子は9歳で、下の子は6歳ですから、育児の本場はまさにこれからだと思うのですが、そんなもんなのかなぁ・・・と、その時はボンヤリ思いました。

 

しかし、上の子は、確かに、最近になって、自分で何をしないといけないかがわかってくるようになってきました。また、習い事も、今まではずっと送迎に付き添っていますが、つい数日前に、「私、一人で行く!」と言い出しました。電車に乗るので私は不安なのですが、昼なので、その日は一人で行かせました。もちろん、電話機能兼GPS付き防犯ブザー持参で、駅到着、電車乗車すべてメールを打ってもらって、なんとか大丈夫でした。しかし、電車はやはり心配なので、今後も私がついていくようにします。

 

下の子については、今日、突然、スイミングの着替えを一人ですべてやるから、手伝わないで!と言ってきました。「大丈夫なの?」と言ったのですが、

「できるから、もう、あっち行って」と追い返されました。

 

なるほどなぁと思いました。あの占い師のおばあちゃんは、テキトーに言っているだけのようにも思えたのですが、子どもは案外、自立に向かって成長しているのかもしれません。

私の手が楽になってくるのも、あと少しかもしれません。

 

今後は、子ども達が自分でできることは極力自分でしてもらうようにして、それと、お手伝いもたくさんしてもらうように声掛けをして、私自身の負担を減らして、それと、仕事をするときは徹底して集中するようにして、仕事以外の時間を増やしていくこと。これが、私の2023年の抱負となります。

 

以上、長くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。

2022年の振り返り

早くも大晦日です。2022年も残すところ小一時間ですね。

今年は、大変なことが多く、6月後半以降は、心休まることがなかなかありませんでした。

しかし、今は、少しは心穏やかに過ごしています。

このブログでは、その時々言いたいことをつらつら述べて、皆様には励ましていただきました。ありがとうございました。

 

私にとっての2022年は、一言で言うなら、波瀾万丈でした。これほどの波に飲まれたことは、初めてでした。

今となっては、悪い縁が切れて、良い人達が自分の周りに残り、良かったと思います。

以前は、人のことを信じられなくて、何かあるとすぐ、最悪の事態を想定してその人のことを切っても良いような発想になってしまっていました。

しかし、最近になって、ふと考えると、今私と繋がっている人達は、ほぼ皆さん善良な人達で、何かあった時にも相手のことを悪く考えることなく、善意で付き合うことができる人達のように思えます。

 

趣味で始めた御朱印集めも、神社巡りや寺社巡りをしているうちに、心穏やかになっていく気がします。

またそのうち、何か、とんでもない出来事があるかもしれません。自分に非が無くても、ある日突然火の粉が降りかかることや濡れ衣を着せられることも、今後また生きているうちにあるかもしれません。

宗教などに頼ることなく、自暴自棄になるのではなく、現実逃避するのではなく、現実を受け止めながら、対応する。

生きていると、良いことばかりということはなく、無理して前向きになる必要もありません。

意識して物事の良い面を見ようとしていたけれど、それも何か違うような気がします。

 

嵐は必ず過ぎ去るものだと信じて、ただ前に進むしかないということですね。

 

2023年は、良い年になることを切に願っています。

ウクライナとロシアの戦争も終わりますように。。

 

皆が心穏やかに過ごせる日が来ますように。

良いお年をお迎えください。

11月3日

そんなことわかってはいたけど、やっぱりその通りだった。

 

前にもこのブログで書いたことのある、私に非が無いのに、一方的な思い込みで恨まれている件について、断続的に嫌がらせと思われる行為を受けているが、昨日は、ついに、金銭の要求があった。

それも、私に原因が無いのにそれらしく書いて、明日までにまとまった金額を指定口座に振り込めという内容だった。

怒りやらいろんな感情がある中で、当然、支払うわけがないんだけど、私の弁護士さんも、いつものように文書で(法律論で)反論しましょうというスタイルで、この文書でのやり取りはもう6月から今までずっと続いているけど何の進展も無い。

進展が無いばかりじゃない。私から見ると、相手の主張は、言いがかり甚だしく、全くのそこらへんにいる一般市民を見つけて、脅して金銭要求をしているレベルで、その執拗な嫌がらせに、こちら側の対応は、いつも文書で反論するばかりで、状況に全く変化は無い。

 

感情の行き場も無く、なすすべも無く、友人に相談して、友人から「警察署で相談してみたら」とアドバイスをもらって、今日、最寄りの交番に行ってきた。

 

その交番で受けた対応で、この記事の冒頭のとおり、警察に相談したって何も変わらないことはわかっていたけど、どうにもならなくて、でも、誰かに助けを求めたくて交番に行ってみたわけだけど、当然、何も意味は無かった。

交番の警察官の方は、話は聞いてはくれたけど、当然、民事不介入で、弁護士を入れているならなおさら、「弁護士さん同士で解決してください。」ということだった。

「殺すぞ、というワードが入っていたら、脅迫行為などになるけど、そうでないなら、刑事にならないので警察は何もできません。」

そうですよね、わかっています。

わかっているけど、終わらせたいのに、どこに相談すればよいかわからず、それで来たんですが、つまり、相談するところも無いから、耐えるしか無いということなんですよね。

見かねたのか、交番の方が、「生活安全課というのがあるから、そこで相談を受けてもらえないか、聞いてみますね。」と、その警察官の方が生活安全課に相談して良いかという確認の電話をかけたところ、生活安全課ではお断りされたんでしょうね、電話口で警察官同士ちょっとした言い合いになっていた。

 

自分は、何をやっているんだろう、と思った。

無視すればいいだけの話ではないか、と思う。ずっと、心の中で無視を心がけてきていたと思う。その「無視すればいいだけ」それが、自分に非が無いならなおさら、できるはずなのに、同時に、「(正しいことをやってきたはずなのに)なぜこんな目に遭うのか」という思いと重なって、なかなか真の意味では無視できていないんだと思う。

 

電話口でのやり取りを見て、生活安全課への相談はやめた。

 

本当に、なぜ、こんな目に遭わなければいけないんだろうか。

こんなことを抱えていても、他の人にはまるで何事もないかのようにいつも通りふるまわないといけない。

誰かに相談したって解決するわけではない。

相手が、この嫌がらせ行為を止めない限りは。

裁判で決着をつけたらよいと思うのに、裁判にもならず、一方的に執拗な嫌がらせのような行為だけが継続している。相手は、何度も繰り返し、「訴えるぞ」「裁判手続きするぞ」と言うばかりで、裁判手続きの方は進めない。(訴状も何も来ない。)

私の方から裁判を起こすには、損害賠償請求のその「損害」についての証拠などが乏しく、また、時間や労力が無駄にかかるので、私からは裁判を起こさないほうが良いと弁護士さんから言われている。

 

それでずっとこの受け身のままだ。

もう、どうにもしようがない。ひたすら耐え続けているけど、もう、限界だ。

 

濃厚な神無月でした

 

しばらくブログから遠ざかっていました。

今月末期限の仕事が全く終わらず、息つく暇もないまま駆け抜けていました。

28日の金曜日に、一応終わらせたんですが、駆け抜けすぎて、疲労感と解放感が一度に来て、途端に具合が悪くなりました。気が張り詰めているときは、無理しているつもりではなくても結構無理してしまっているものですね。

 

今月は、私なりに色々な取り組みをしていたために、仕事に影響が出たものと思います。一つに、以前ここに書いた、新たな取り組みであるスイミングです。

スイミングは継続しております。毎週1回1時間通っているだけなのですが、やはり、今のスイミングで使っている時間は、スイミングに通う前は、仕事を進めていたということなのでしょう。

次に、他の取り組みとは、意識して、寺社仏閣を巡ろうと思ったわけです。御朱印帳を買ったのがきっかけですが、考えてみると、本当に、これまでどこにも行かずに、ただ仕事と育児と家事のみに翻弄されていて、視界が狭かったのではないか、と思ったわけです。

それで、以前、私の顧客が、強力なパワースポットがあるのですよと教えてくださった、山形県米沢市にある油掛大黒天に、友人と参拝に行きました。

米沢市は初めて訪れたので、ついでに上杉神社なども観光しました。

お天気に恵まれ、レンタサイクルで移動しましたが、その友人とも普段は過ごせない、何かのびのびとした時間を過ごせたのでした。

その日の夕方からは、私の家族が後から福島にやってきて、福島の宿に泊まって、翌朝は安達太良山に登ったのでした。この登山(ハイキングレベル)は、私としては、当初はあまり興味が無かったのですが、登ってみると意外と道が悪くそこそこ大変でした。

普段全く登山をしてませんからね。

しかし、今回、10月中旬に行ったことには意味がありました。

紅葉です。

 

安達太良山

ガスで紅葉がぼやけているところも風情があって良かったです。

山頂まで登ると、壮大な雲海とともに、他の山々も見えて、素晴らしい眺めでした。

 

安達太良山山頂より

360度雲海でした。

一緒に行った私の子ども達は、「ここは、雲の上の世界なんだね」と話していました。

 

安達太良山山頂

思いがけず、このような体験をすることができました。

 

これも、すべては、今までとは違う取り組みをしようと心掛けているからです。

変化を加えていかないといけないんだろう、今までの自分のものの見方を変えていこう、と意識的に取り組んでいます。

 

今となっては、もう何年も前に交流が途絶えてしまった大学時代の友人が、大学時代に、私にこのような話をしていたことを思い出します。

「ボールを投げて、特に何も力を入れなければ普通の放物線しか描かないけれど、その放物線の着地点でないところを目指すなら、外から何か力を加えるしかないだろう。」

そんな旨の内容で、細かいセリフは覚えていないのですが、なるほど、その通りだとその時に思ったのです。

その友人は、過労でメンタルを崩してしまい、自ら外界をシャットアウトしてしまい、大学卒業後も割と仲良くしていたと思うのに、ある時、その友人自身がついにすべての連絡できる手段を切ってしまい、それで、私の方からは一切連絡が取れなくなってしまいました。

今でも元気に過ごしているといいのですが・・・。

もしかしたら、私とメールをやり取りするのさえつらかったんだろうな、と思います。

私は、自分では精神的にタフではないと思いますが、しかし、外からは強く見えるのかもしれません。いや、ひょっとすると、実際には、自分で自分のことが分かっていないだけで、案外タフなのかもしれません。

 

とまあ、話が脱線しましたが、この10月は濃厚な日々を過ごしたということです。

そのために、疲労感も半端ないものでしたが、今は、ハーブティーを飲んで、ゆっくり過ごしています。

忙しい時でも、こういう心のゆとりを持ちながら毎日を過ごしたいものです・・・。

アントニオ猪木氏を追悼して

アントニオ猪木氏が亡くなりました。

私は、プロレスも特に好きではなかったので、アントニオ猪木氏についてもあんまり詳しくは知らないんですが、アントニオ猪木氏と言えば、

「1、2、3、ダー!!」

で、それぐらいは知っています。

それ以上に、私が、アントニオ猪木氏と言えば思い出すのは、これなのです。

「この道を行けば どうなるものか

 危ぶむなかれ

 危ぶめば道はなし

 踏み出せばその一足が道となり

 その一足が道となる

 迷わず行けよ

 行けばわかるさ 」

 

これは、私が、まだ大学生のころに、友人たちとの間で流行っていたミスチルのアルバムの中に入っていた曲に『one two three』という曲があり、その曲の最後に、この詩をを読むアントニオ猪木氏の肉声で入っていたのでした。

当時、まだ私は若かったので、妙に励まされて、そんなこんなで、今までやってきています。

 

youtu.be

 

私の高校生ぐらいの時の座右の銘と言いますか、好きだった言葉も、

上杉鷹山

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬ成りけり」

でした。

こんな精神で今までやってきました。

 

いつから、こんな精神も自然とあまり意識しないようになってきました。

年を重ねて、ある程度、色々なことができるようになってきて、自分の道も切り開いて来れたからかもしれません。

 

しかし、道は険しいものですね。いばらの道です。

乗り越えていかなければいけません。

 

アントニオ猪木さん、勇気をいただき、ありがとうございました。

 

自分に挑戦したこと

最近、幼稚園児がバスの中で亡くなったニュースが連日報道されていて、見聞きするたびに非常につらくなるので、そのニュースのことを忘れたいと思い、ここにやってきた。

 

ここ最近は、相変わらず仕事は忙しいのだけど、前のように仕事一辺倒ではなく、色々な取り組みをし始めている。

 

一つ、自分にとっては大きな挑戦をした。

私は、子どもの時から、スポーツをあまりやったことがなくて、苦手意識があるのだけど、最近、うちの子ども2人がスイミング教室で随分水泳が上手になり、3年生の子はバタフライが泳げるようになり、年長の6歳の子の方は、クロール、背泳はマスターし、今は平泳ぎの練習をしている。

私は、それを見守るばかりで、水泳には特に強い苦手意識があり、海は眺めることはあっても絶対に入らないし(波があって怖い)、プールでさえ子どもらが入ってもプールサイドで眺めることしかしない。

それは、今まで水泳を習ったことがなかったからで、それなのに、私が入学した公立の高校は、校訓に「文武両道」を掲げ、異常なほど体育を特訓させた。

夏の時期はほぼ毎日水泳があったような気がするのだが、クロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライを特訓させ、それぞれをテストして、泳法に何か問題があれば「不合格」とし、補講に回して徹底的に、何度も何度も練習させた。

当然、私は、泳法を誰からも教わったことがないわけだから、いつも不合格で、補講の連続。特に平泳ぎに至っては、何が悪いのかわからないのに、何度やっても不合格の連続で、理由がわからないから苦手意識だけ芽生えて、もう、水泳というものが大嫌いになってしまったのだ。

ちなみに、バタフライも泳ぎ方を教えてくれないのに、テストをして、私は、全くバタフライができないので、テストをクリアするために、25mのほとんどをドルフィンキックで潜水し、水の上で最後の2かきぐらいをやったことで、なんとかクリアできた。(実質的には、バタフライを泳げていないのに、先生が見逃してくれたものと思う。)

 

そして、ここからが本題だが、こんな水泳に苦手意識のある私が、ここ最近は体力の衰えを感じるとともに、家族の中で、子どもがどんどん水泳をマスターしていくのに、自分だけが泳げず、どうしたものかと思い、ふと、子どもの通うスイミングスクールの大人のコースの体験に行ってみよう、と思い立った。

以前の私だったら、大嫌いな特にスポーツに挑戦するなんて考えられないのだけど、その時は勢いで、まずは、無料の体験講座に申し込んだ。

 

泳ぐということが、高校生以来で、軽く20年以上なので、当日まで、そして、当日も緊張したし、怖いなぁと感じていた。

いざ、始まると、そのスイミング教室の先生が、私が

「全然泳げないんです。もう20年以上ぶりなのです。」

と言っているにもかかわらず、

「では、まず、クロール25m泳いでください。」

と言った。内心、えーー!途中で足がつるかもしれない。と思ったが、先生が私が泳ぐのを待っているので、逃げられず、泳いでみたところ、なんと、あっという間に25m泳げた。

「はい、次は、背泳行ってみましょう。」

「できるかわかりません。」

「途中で立ってもいいですから。」

と言われて、挑戦してみたところ、これもまたスムーズに泳げた。

自分で自分に驚きながら、

「次は、平泳ぎ。」

 

とまあ、こんな調子で、バタフライ以外は全部25mを立つことなく泳げた。

 

バタフライだけは、挑戦してみたものの、どうしても、上半身と下半身のリズムがよくわからないのと、それと、先生が、「下半身はドルフィンキックで、上半身はクロールでやってください。」と難題を出すので、全くできなかった。

 

それにしても、高校の時のあの修行のような毎年の夏の特訓が、今になって、意味があったのだと分かった。あの特訓のおかげで、20年以上経った今も、体は覚えていて、泳ぐこともできたし、自信の無かった平泳ぎについても、先生にフォームが変じゃないか聞いてみたが、「上手にできています。」とおっしゃっていただき、きちんと泳げていることが分かった。

 

先生が、「大丈夫ですね、ちょっと練習すれば、すぐに中級コースや上級コースに行けますよ。」とおっしゃった。(もちろん、お世辞でしょうけど。)

今までずっと泳ぐのを避けてきたのは何だったのだろう、と、思うほど、あっさりできて、苦手意識というのは単なる思い込みだな、と痛感した。

 

 

久しぶりに体を動かして、気分も良くなったので、今後も毎週続けることにした。

もちろん、用事などで行けない日もあると思うけど、気楽に始めようと思う。

 

以上が、最近始めた挑戦その1である。

 

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下記は、水泳の体験教室を申し込んだ日=ハウステンボスにいた日の風景です。

 

ハウステンボス20220822

 

縁切り榎@板橋区

少し前にここに書いたように、6月から、トラブルに巻き込まれていて、7月に入ったら終わるかなぁ、8月に入ったらどうかなぁ、などと思っていても、全く終わらず・・。

 

この件については、完全に、相手が私に執着していて、過去についても私に非が無いかあら探しをして、私の弁護士さんに断続的に脅迫めいた文書を送ってくるので、こちらとしてももう精神的に結構しんどいなと思いながらも、日が経つにつれて徐々に、実際に私側に非が無いのだから、確かに、先輩税理士のおっしゃるように「堂々としていればいい」のだなぁと思ってきた。

 

とはいえ、ふとした時にこのことが頭をよぎるので、私の友人が最近行ってきたという、板橋区にある縁切り榎に参拝に行った。

この縁切り榎は、下記板橋区のホームページにもあるとおり、

www.city.itabashi.tokyo.jp

悪縁を断ち切ってくれるということで、参拝者が絶えないという。

以前、NHKか何かの番組でもこの縁切り榎を見たことがあった。

 

予定はしていなかったけど、今日、娘と一緒に行ってきた。

娘は何も用がないだろうけど、私とたまたま外出していたので、その流れで私が、ふと今日参拝しに行こうと思い立ったので、連れてきた形となった。

都営三田線の板橋本町駅から歩いてすぐで、道に迷うことなく見つけることができた。

確かに人気のスポットなのだろう、小さな祠なのに、数人がその敷地内にいた。

どのようにして参拝しようかと、その狭い敷地内でうろうろしていたら、ふと、見知らぬおじいさんがニコニコ話しかけてきた。

「この榎(の石碑?)は、私が作ったんです。この縁切り榎が、江戸時代ははす向かいにあったんだけど、こっちに移転するときに、残っていた榎をこうやってコンクリートで固めて、それで、自分が作ったという印で、ここに母印を・・・」

と、指で示して、教えてくださった。

「ここは、私が40代の時に、ここの町内会がみんなで協力して、あそこからここに移転させたんだ、その私も今83歳!この縁切り榎のおかげで悪いものもつかないから、病気もせず元気モリモリだ。」

ニコニコ顔のおじいさんの話は止まらず、次は、榎の木について語り始めた。

 

そのおじいさんを、警戒心一杯の眼差しで見る私の娘(小学3年生)。

話し好きの高齢者は子どもが好きなことが多いと思う。やはり、うちの娘に話しかけてきた。

「ここの榎はね、あなたの縁とお母さんの縁を結んで、ずっと結んでくれるんだよ、木がね、一つの根っこから二本の木が生えていて、ほら、あんな風に、それで、良縁を結ぶという願いが叶うからね。」

と言いながら、次は、参拝の時の二拍手の仕方について、詳細に教えてきた。

慎重な娘が、おじいさんの言うとおりに手を合わせて、するとおじいさんが、

「お賽銭は、五円玉がいいって決まっているんだ。お金は財布にたくさんあるんだろうけど、たくさん使ったらもったいないから、五円玉!」

お賽銭を入れて、二拝二拍手一拝で、参拝終了。

 

おじいさんは、すぐ目の前の蕎麦屋の店主?だった。

 

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帰り道、歩きながら思ったことは、「あの人たちと縁が切れますように」と思ってここに来たけど、そうではなくて、そういう邪念が浮かぶ自分におさらばして、良縁を結ぶということなのだなぁ、と感じた。

つまり、惑わされない自分になる、ということ。今、こうして、一緒に娘と歩いて過ごしていること自体が幸せなことで、それが、あのおじいさんの言葉なんだなぁと思った。

 

そんな私の思いはつゆ知らず、娘はその後、とんでもないワガママを言って私を困らせるわけだが・・・。