リフレッシュの時間

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『華麗なるギャツビー』

6月14日に公開されたばかりの『華麗なるギャツビー』を見てきました。映画館に足を運ぶのは数ヶ月ぶりです。
 
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人なんてこんなもんだと思う。登場人物の心理描写やその顛末、よく出来た話だと思った。
 
CGを使ったグイーンと引っ張られるような撮り方や大音量の派手なドンチャン騒ぎの様子は、『ロミオ+ジュリエット』や『ムーラン・ルージュ』でも共通するバズ・ラーマン監督特有の手法で、エンターテイメント要素を満喫できて面白かった。
 
原作はフィッツジェラルドの小説で、1920年代のニューヨークを舞台にした話。
 
大富豪ギャツビーを演じるレオナルド・ディカプリオの笑顔の素晴らしいこと!権力も富も何もかも手に入れ、毎週自分が催す派手なパーティーのクライマックスの花火を背に彼が主人公に向ける貫禄とその笑みは、軽薄感や成り上がり感など微塵も見せない余裕を感じさせ、また、まるで人生を勝ち誇ったような印象もあり、すごいなと感じた。レオナルド・ディカプリオはやっぱりいい俳優やね。
 
ギャツビーがたった一つ手に入れることの出来ていないもの―数年前に愛し合ったが戦争で引き離された恋人―を、今、何としても手に入れたい、そのためだったら何でもするという心境は、富も権力も名声も何でも欲しいがままに手に入れることができるギャツビーだからこそで、主人公のニックに「過去は取り戻せる」と強く言い放つ姿が印象的だった。
 
かたやその恋人だったデイジー。今となっては人妻だが、かつて愛し合ったギャツビーに真剣に言い寄られ、昔の思いも重なって燃え上がるが、なにか決断しきれない。夫は、よそで愛人を作っているだけでなく、知性も感じられないボンボンの馬鹿で、お金だけが唯一のとりえだと言うのに。今の生活に満たされてもいない。
デイジーは、打算的で金の亡者の「しょーもない」女なのだろうか。
 
急に彗星のごとく現れて、昔果たせなかった二人の愛を今果たそうと懇願されても、何かついていけない気持ちも分かる。
 
ギャツビーだけが、富や名声だけでなく、彼女の好きな豪華絢爛な住まいやパーティー社交界を作り、彼女の願うものをすべて叶えようと、ただただひたむきに彼女にすべてを捧げようとしてる。その姿が、健気で哀しい。
「君以外はみんなクズばかりだ」と、主人公がギャツビーに言ったが、彼に告げるには適切な言葉だと感じた。
 
夢を追い続けることは、儚く、空しいことなのか。
 
 
 
 
 


見終わった後、本屋に立ち寄ったら、村上春樹訳でこの映画の原作が売っていた。冒頭を少し立ち読みしてみたら、映画よりもずっと繊細で深みがありそうだった。原作も読んでみようと思う。