リフレッシュの時間

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『レ・ミゼラブル(1998)』

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原題:LES MISERABLES  製作年度:1998年 製作国:アメリカ・ドイツ・イギリス 上映時間:133分
監督:ビレ・アウグスト  脚本:ラファエル・イグレシアス  原作:ヴィクトル・ユーゴー
出演:リーアム・ニーソンジェフリー・ラッシュユマ・サーマンクレア・デインズ
    ハンス・マシソン、リーネ・ブリュノルフソン、ピーター・ヴォーン
 
有名なヴィクトル・ユーゴー原作『ああ、無情』の映画作品です。
 
【登場人物】
ジャン・バルジャンリーアム・ニーソン  ジャベール警部ジェフリー・ラッシュ
ファンテーヌユマ・サーマン  コゼットクレア・デインズ  マリユス:ハンス・マシソン
 
【あらすじ】  ネタばれなし
1812年ジャン・バルジャンは、19年の服役から仮出所した。“危険人物”と書かれた通行証を持つ彼を泊める宿はなく、仕方なく彼はその町の司教の家に行き、泊めてもらうこととなった。
 
温かい食事と寝床を得たジャン・バルジャンは、「新しい人間になれる」と司教に感謝する。ところが、重労働の刑による石切り場で受けた酷い仕打ちを思い出し、司教の家にある銀食器を盗み、逃げ去ってしまう。
翌朝、ジャン・バルジャンはすんなり警察に見つけられ、司教のもとに連れられる。銀食器を盗んだ疑いでの確認のためだったが、司教はその場で嘘をつき、「銀食器は彼にあげたものだ」と、さらに銀の燭台も手渡す。
そして、ジャン・バルジャンに「『新しい人間になる』と言ったことを忘れるな」と約束させる。
 
それから9年後。
ジャベール警部が赴任されたヴィゴーの町で、ジャン・バルジャンが市長を務めていた。
市長は、その孤独を好む性格とは裏腹に、的確な判断と慈悲深さから、多くの市民から絶大な支持を得ていた。
市長に挨拶に来たジャベール警部を見て、ジャン・バルジャンは彼がかつて石切り場で自分を虐待していた警官であることに気づく。
 
そしてジャベール警部もまた、市長がジャン・バルジャンであることに気づいたのだった。
 
時同じくして、里子に出している幼い娘コゼットのために働いていたファンテーヌという女性がいた。ファンテーヌは、父のわからない子がいることを隠していために働いていた工場から追い出される。重い病気だった彼女は、親切にしてくれた市長に娘を育ててほしいと言い残し、この世を去る。
 
一方、ジャベール警部は、囚人だった人物が市長になっていることに憤りを覚え、「脱獄囚ジャン・バルジャンを見つけた」と全く別の人間を起訴した。その裁判で、傍聴席に座っていた市長は無実の者に罪が着せられていく様子を見て、自分がジャン・バルジャンであることを名乗り出る・・・。
 


【感想】
ジャン・バルジャンを必死で追い、容赦なく法で切り裂こうとするジャベール警部と、逃げて窮地に追い込まれながらもそのジャベール警部にさえ慈悲を与えるジャン・バルジャンの壮絶な物語でした。
 
ジャン・バルジャンが19年の重労働の刑に処されることとなった罪が、極度の貧困に耐えかねパンを盗んだというものであったこと、そして服役中に酷い虐待を受け、服役後は、こうしてジャベール警部に追われる人生であることに、心底同情してしまいました。
 
ジャベール警部は、「人はバックグラウンドでその性質が区分される」という考えの持ち主で、貧乏なところの出身の者は犯罪者という考え方でした。だからこそ、ジャン・バルジャンを許せなかったんだろうけど、それにしても彼は酷いと思う。常に偏見に満ちていて、全ての人物について「経歴」のみでその人物を評価するのですから。
 
一方のジャン・バルジャンは、そんなジャベールを、警部という身分を剥奪できる立場にあった時にも、正当な理由で殺せる立場にあった時にも、常に彼に慈悲を与え続け、神様のようでした。彼に対してだけでなく、すべての人に対して、ジャン・バルジャンは偏見を持たず、平等で、常に思いやりがあって、そして我先にと率先して人を助け、本当に素晴らしい人間でした。彼から学ぶべきことが山ほどあったと思います。
 
私が最も印象に残った場面は、何と言っても最後の場面です。以下、ネタばれあり。
ジャン・バルジャンがジャベール警部に追い詰められ、「いよいよもう終わりだ、逮捕だ」という場面です。
あれは感動的だった。それまでジャベール警部には嫌悪しか抱いていなかったけど、最後のジャベール警部の判断で、ジャベール警部を(少しですが)見直しました。彼なりの論理で今まで動いていたことも分かりました。
 
ジャベール警部は、法に従ってしか生きられない人物で、法には慈悲など無い、そう彼は言っていました。
経歴で人を判断するのも彼なりのルールですし、それに従ってやっていたにすぎないということなんでしょう。
でも、その限界を彼自身も理解して、それで最後に「死」という決断をしたんだと思う。
 
このことは、考えさせられるなぁ。ただでさえ(私の周りだけかもしれませんが)合理的判断こそが最適とされている世の中だからなぁ。なかなか、ジャン・バルジャンのようにすべてを慈悲で対応することはできないけど、「法」とか「ルール」とかは、判断するときの要素ではあっても、あくまで尺度に過ぎず、肝心なところは「慈悲」とか「思いやり」とかで判断して、行動することが重要なのだということを改めて気づかされました。
 


俳優陣もとてもよかったです。ジャン・バルジャン役のリーアム・ニーソンはやはりいい俳優ですね。
あの、司教に「新しい人間になる」ということを約束させられた場面の演技なども真に迫っていたと思います。
 
ジャベール警部役のジェフリー・ラッシュも凄味があってかなりの存在感でした。
マリユス役のハンス・マシソンという俳優は初めて見たけど、若き革命家を好演していました。
彼とクレア・デインズの心の通い合いは、初々しくてよかったです。
ユマ・サーマンは瀕死の演技が大半でしたけど、確かに彼女ガリガリで大きい目だけギョロギョロしていました。
 
と、俳優陣もよかったし、作品の内容もすごくよかったし、私としては文句のつけどころがないです。
こんなふうに、名作を映画で見るのは楽しいですね。