展覧会は大きく7つの章に分けられていました。
長谷川等伯は能登の七尾生まれ。“等伯”と名乗る前は“信春”と名乗っていました。
法華信仰の厚い七尾に生まれた“信春”は熱心な日蓮宗信者で、当初は仏絵師として活躍していました。
日蓮宗のお寺にその多くが残されており、この展覧会でも『日蓮上人像』など多くの仏画が展示されていました。
仏画ということもあり、どの作品も非常に緻密に描かれていました。
私が以前観て一目で気に入った作品『萩芒図屏風』のあの細い繊細な線はここから来たのですね。
法華信仰の厚い七尾に生まれた“信春”は熱心な日蓮宗信者で、当初は仏絵師として活躍していました。
日蓮宗のお寺にその多くが残されており、この展覧会でも『日蓮上人像』など多くの仏画が展示されていました。
仏画ということもあり、どの作品も非常に緻密に描かれていました。
私が以前観て一目で気に入った作品『萩芒図屏風』のあの細い繊細な線はここから来たのですね。
私が好きな『萩芒図屏風』も来ていました。
金箔の図屏風は、どの作品も大きく見事なものでしたが、
私が特に気に入ったのは『柳橋水車図屏風』(兵庫・香雪美術館 蔵)です。
画像をアップできず残念です。
柳と橋と水車と川が描かれいるものなのですが、
そのそれぞれが独特で異なるパーツが組み合わされたようでした。
柳の葉の柔らかい細かい丸い深緑の線と対照的に、橋は金一色で豪華に大胆に描かれており、
端にある水車がこれもまた金色で描かれていて、その近くにある物(?)の模様が格子みたいでした。
一方、橋の下を流れる川が、グレーの色で非常に細かい流線が何重にも描かれていました。
とても面白い作品でした。
ポストカードを買ったけど、小さすぎて、細かい線は見られません。
実物は、迫力ある大きい図屏風なのに、目を凝らしてしまうほど細かい繊細な線が描かれています。
私が特に気に入ったのは『柳橋水車図屏風』(兵庫・香雪美術館 蔵)です。
画像をアップできず残念です。
柳と橋と水車と川が描かれいるものなのですが、
そのそれぞれが独特で異なるパーツが組み合わされたようでした。
柳の葉の柔らかい細かい丸い深緑の線と対照的に、橋は金一色で豪華に大胆に描かれており、
端にある水車がこれもまた金色で描かれていて、その近くにある物(?)の模様が格子みたいでした。
一方、橋の下を流れる川が、グレーの色で非常に細かい流線が何重にも描かれていました。
とても面白い作品でした。
ポストカードを買ったけど、小さすぎて、細かい線は見られません。
実物は、迫力ある大きい図屏風なのに、目を凝らしてしまうほど細かい繊細な線が描かれています。
長谷川等伯の代表作である『松林図屏風』を今回初めて観ました。
さすがに見とれてしまいました。
水墨画はまだまだわからない分野なのですが、この墨を操る描き方の凄さはさすがにわかりました。
「霧は描かれていないのに濃い霧があるのが見える」といった旨の解説がありましたが、本当にその通り。
画像で見るとたいしたことないように見えますが、実物はこの松の木々にもっと堂々とした存在感がありました。
松林の遠くに微かに山がうっすら見えていて、自分が濃霧の松林に迷い込んだようでした。
水墨画はまだまだわからない分野なのですが、この墨を操る描き方の凄さはさすがにわかりました。
「霧は描かれていないのに濃い霧があるのが見える」といった旨の解説がありましたが、本当にその通り。
画像で見るとたいしたことないように見えますが、実物はこの松の木々にもっと堂々とした存在感がありました。
松林の遠くに微かに山がうっすら見えていて、自分が濃霧の松林に迷い込んだようでした。
載せた画像は右隻ですが、左隻をじっくり観察してみました。
木の幹の真ん中を描かずに、幹の根に近い部分と葉に近い部分を薄い墨で、葉を色濃くことで、
幹の存在を観る側に想像させていて、それが同時に霧の存在も想像させていることがよくわかりました。
木の幹の真ん中を描かずに、幹の根に近い部分と葉に近い部分を薄い墨で、葉を色濃くことで、
幹の存在を観る側に想像させていて、それが同時に霧の存在も想像させていることがよくわかりました。