著者:司馬遼太郎 出版社:新潮社 発売日:1972年
以前、大河ドラマにもなった『新撰組』。
幕末の混乱状態に乗じて、尊王攘夷を唱えている人々をひたすら斬った集団。
その集団を率いるのは、武士でもない百姓あがりの剣術師、近藤勇と土方歳三。
こんな憎まれておかしくない集団が、なぜ、後世、小説にもなり大河ドラマにもなるほどの人気を得たのか・・・。
幕末の混乱状態に乗じて、尊王攘夷を唱えている人々をひたすら斬った集団。
その集団を率いるのは、武士でもない百姓あがりの剣術師、近藤勇と土方歳三。
こんな憎まれておかしくない集団が、なぜ、後世、小説にもなり大河ドラマにもなるほどの人気を得たのか・・・。
近藤勇が運営する天然理心流の試衛館は、他の道場に立会稽古などをすることで収入を得ていたのですが、
江戸中に麻疹とコレラが蔓延したことにより収入源もなくなり、資金も底をついてしまったところ、
幕府が江戸周辺の主な道場に求めた浪士徴募を人づて(山南敬介づて)に知ります。
江戸中に麻疹とコレラが蔓延したことにより収入源もなくなり、資金も底をついてしまったところ、
幕府が江戸周辺の主な道場に求めた浪士徴募を人づて(山南敬介づて)に知ります。
近藤勇も土方歳三も剣術はできるものの全くの無学。
勤王とか攘夷などに特に考えがあったわけでもなく、土方はひたすら喧嘩に男のロマンを感じ、
近藤勇は幕府に貢献することでいずれ大名になりたいという願望を持っていただけなのでした。
勤王とか攘夷などに特に考えがあったわけでもなく、土方はひたすら喧嘩に男のロマンを感じ、
近藤勇は幕府に貢献することでいずれ大名になりたいという願望を持っていただけなのでした。
そこから、新撰組の存在意義が、微妙な立場へと転換していきます。
それまでは、攘夷論のはびこる京都で、幕府の元にその治安を取り締まるという役目だったところが、
もはや政権は天皇が、それを支持し続けてきた長州・土佐・薩摩藩が官軍であり、幕府は賊軍となったのです。
それまでは、攘夷論のはびこる京都で、幕府の元にその治安を取り締まるという役目だったところが、
もはや政権は天皇が、それを支持し続けてきた長州・土佐・薩摩藩が官軍であり、幕府は賊軍となったのです。
ここから始まる、鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争などでは、常に新撰組はその一線で戦いました。
300年も昔の戦国時代と同じ戦法、剣で戦う幕府軍と新撰組。対する官軍は、当時最新の外国輸入の銃や大砲。
人数こそ幕府側が多かったものの、勝敗ははじめから目に見えていたようなものです。
300年も昔の戦国時代と同じ戦法、剣で戦う幕府軍と新撰組。対する官軍は、当時最新の外国輸入の銃や大砲。
人数こそ幕府側が多かったものの、勝敗ははじめから目に見えていたようなものです。
そして追われるように、京都・大阪を離れ、幕府の艦隊でいったん江戸へ。
その後、甲府や千葉の流山、宇都宮など、いくつかの拠点で戦うものの、戦況は悪く・・・。
仲間は順々に消えていき、ついに、当時の政情をある程度理解していた近藤勇が
「賊軍として名を残したくない」と官軍に自ら出頭。
その後、甲府や千葉の流山、宇都宮など、いくつかの拠点で戦うものの、戦況は悪く・・・。
仲間は順々に消えていき、ついに、当時の政情をある程度理解していた近藤勇が
「賊軍として名を残したくない」と官軍に自ら出頭。
根っからの喧嘩師である土方は、その後も戦い続け、函館に新政府を作り徳川家を擁立させる計画を立てます。
それまで、京都にいた頃は、江戸から一緒に歩んできた同志も、自らの手で斬首していたにもかかわらず、
函館に着いた時には「ここからは自分の好き好んでやってる喧嘩だ。仲間を死なせる必要はない。」と、
同志を生き続けさせたのです。
函館に着いた時には「ここからは自分の好き好んでやってる喧嘩だ。仲間を死なせる必要はない。」と、
同志を生き続けさせたのです。
政情を読む、その政情を汲み取って自らの立場を考え行動していれば、新撰組の結末はこんなことにはなってなかったのでしょうが、新撰組、特に土方にとっては政治などどうでもよく、最初から最後まで「徳川家を守る」という立場を一貫していたのです。