リフレッシュの時間

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“マトリックス”

今更ですが・・・、食わず嫌いだった“マトリックス”、初めて見ました。

すごかった・・・!すごい作品ですね。思いっきり哲学の世界じゃないですか。

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原題:THE MATRIX  製作年度:1999年 製作国:アメリカ 上映時間:136分
監督・脚本:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー
出演:キアヌ・リーヴスローレンス・フィッシュバーンキャリー=アン・モス
   ヒューゴ・ウィーヴィング、グロリア・フォスター、ジョー・パントリアーノ

この映画が出た当時に話題になった訳がわかりましたよ。
当時、私は“マトリックス”=人が飛ぶ意味不明なアクション映画と思い、今まで見ることもなかったわけですが、
どんな映画でも、食わず嫌いはダメですね、話題になる映画はそれだけの理由があるのだと改めて感じました。

私はコンピュータの知識もほぼ無いに等しいですから、コンピュータに関する難しいことは全くわかりませんが、
この“マトリックス”での世界観は、高校の授業の哲学に出てきた、プラトンイデア論に通ずるように感じ、
かなり興味が湧きました。

私たちが住む今のこの世界は、仮想現実であり、真実は別にある。
マトリックス』とは、コンピュータの作りだした仮想現実の世界のことです。


モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)のセリフ:
「現実だと確信していたものが夢だったことはないか?」
「その夢から目覚めることができないとしたら?夢と現実の世界をどうやって区別する?」

区別のしようがないのです。

高校のグループ研究でデカルトを研究しましたが、デカルトにもほぼ同じ問いかけがありました。
味覚や嗅覚などの感覚で感じることすべて真実か定かではないとしても、
今こうして考えている自分が存在することは確かである。『我思うゆえに我あり。』


映画“マトリックス”では、今まで自分が当然だと思い込んでいた既成概念を覆し、
コンピュータにより形成された仮想現実のなかで、
人工知能(コンピュータに人間と同様の知能を実現させた技術)である
エージェント・スミスヒューゴ・ウィーヴィング)と闘います。

仮想現実の中では、自分自身をプログラミングし、カンフーを習得したりヘリコプターの操縦を習得できます。

銃弾をよけることができるのもそういうわけなのです。

ただ、仮想現実の中ではなんでもできるということではなく、
限りなく完成形に近い人工知能を相手とした闘いでは、「人間」は技術面においては劣ってしまいます。
ここで重要なのは、「信じること」です。信じて、行動するということです。
主人公ネオ(キアヌ・リーヴス)は、預言者の言葉「(仲間を助けるのも)あなたの選択次第」
という言葉から、自分がモーフィアスを助けることができると感じたというその直感だけを信じ、
果敢にも、敵の巣に自ら侵入し、仲間を助けに行きます。
その闘いの中でネオはさらにパワーアップし(悟りを開き)、真実を心で解することができるようになります。
つまり、ネオは、この偽の存在である人工知能に対して無敵になったということです。
ここが、映画の中でネオが「救世主」とされていたわけですね。

すごいですね、この発想。ウォシャウスキー兄弟、すごい!!!


たぶん、私がもう少しコンピュータ知識に詳しかったら、もっとこの映画の内容を解明できたのでしょうが、
あいにく、そんな知識がないので、現時点ではここまでしかわかりません。

それにしても、こんな映画初めて見ました。
アクション映画嫌いの私が、楽しみながら見れましたよ。

1999年アカデミー賞で、視覚効果賞、編集賞、音響賞、音響編集賞を受賞したそうです。
当時のCGでは画期的だったんでしょうね。確かに、今見てもスピード感あっていいかも。


最後に、この映画のキーマンであるモーフィアスを演じていたローレンス・フィッシュバーンですが、
たぶん私はこの俳優を初めて見ましたが、不思議な魅力のあるいい俳優ですね。
キアヌ・リーヴスより、ローレンス・フィッシュバーンのほうが気になりました。

この映画、哲学⇒宗教じみた作品とも言えますよね。
途中からのネオが強くなるためのエッセンス「信じること」というのがまるで「信仰をもつこと」のようです。
宗教のない日本ではなじみが薄いかもなぁ。考えだすと深いテーマなので、このへんにしておきます。

この映画は、一言で言うなら、哲学的発想に基づいたアクション映画ってとこですね。