リフレッシュの時間

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“チェ 39歳 別れの手紙”

1月31日にチェ 39歳 別れの手紙が公開になりましたが、公開初日に早速観てきました。

この作品は、先日記事に載せた“チェ 28歳の革命”の後編にあたりますが、
前編と比較すると、映画の撮り方も構成も随分違いました。
その違いは、監督のスティーブン・ソダーバーグのインタビューを読むところによると、
前編は「革命の全体像を俯瞰した伝記を基にしたもので、オーソドックスなスタイルで」
     「客観的ショットが多く、映像はシネスコ・サイズ※1」
後編は「チェ自身のボリビアでの体験を綴った日記を基にしたもので、緊張感あふれた画面作り」
     「主観的ショットが多いビスタ・サイズ※2」  だそうです。
 ※1 シネスコ・サイズ・・・アスペクト比 2.4:1.0 で非常に横が長いのが特徴。
 ※2 ビスタ・サイズ・・・アスペクト比 1.85:1.0 でワイドテレビとほぼ同じ大きさで現在の主流。

実際、観ている側としては、あまりに前編と構図も雰囲気も異なるので、全く別の映画を観ているようでした。

監督の言葉通り、確かに、前編は「革命」の中でのゲバラを描き、そして後編はゲバラ自身の心の動きなどに
より焦点を置いた作品に仕上がっていて、ゲバラが追い詰められてくる様子、それに合わせて観ている側も共に追い詰められた心境になるような作りになっていました。


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そのため、この後編ではゲバラが死に向かっていく状況が描かれているので、
観ている側としても、正直なところあまりいい気分ではありませんでした。当然のことかもしれません。

まだ死にたくないですし、やり残していることは多くあるし、それなのに窮地に追い込まれていて
どうしようもない焦りと、やり場のない憤り・・・。ゲバラの苦しさが伝わってくるようでした。


イメージ 2

さて、初っ端から作品で感じたことを述べてしまいましたが、この映画の描いた「時」としては、
キューバ革命が達成された後しばらく、ゲバラは新キューバ政府の閣僚として、
工業相などを務めていましたが、1965年10月に突然、手紙を残して行方をくらまします。
後編は、題名のとおり、この「別れの手紙」から始まります。

ゲバラが、前編の革命までの状況に比べ、後編ではここまで形勢不利なのは、一体どうしてなのでしょう。
同士のカストロがいなかったからでしょうか。ゲバラ自身の問題でしょうか。ボリビアという土地の問題でしょうか。

この作品を観ながら、そういうことへの思考を張り巡らせていました。結局、私には答えは見つかりませんでした。
逆に、答えはそのすべてだったのかもしれません。

これほどの革命家であり英雄化されている人物が死に向かう惨めな姿を見るのは、心苦しいものがあります。
認めたくないという思いもあると思います。
でも、この映画はその点、むやみにゲバラを美化するわけでもなく、おそらく真実を淡々と語っているのでしょう。

そして、彼の死・・・。最期まで、この映画の制作者は、彼を美化しませんでした。
彼を失うことについて観客を感傷的にもさせずに、ただ、「死」が訪れた。そういう作品でした。

きっと、前編に比べて後編についての批評は、賛否両論に分かれていることでしょう。

私からはどっちの作品のほうがいいとは言いにくいですが、
まだ私は希望を持っていたいので、前編のほうが好きなことには違いありません。

ただ言えるのは、
前編で描かれていたゲバラの偉業を私が実行しまた体験することは、可能性としては限りなく低いですが、
後編で描かれているゲバラの苦悩については、これからの人生のうちで私が経験する可能性は少なくないなぁ、
ということです。

後編は、もう少し歳を取ってから観たときに、大いに共感でき、また感動もさらに大きくなるのだと思います。


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いずれにせよ、今回のゲバラ2部作は、歴史的視点からも、ゲバラを取り巻く環境という視点からも、
ゲバラ」を知ることができて、大変勉強になりました。感慨深かったですし、色々と考えさせられました。