リフレッシュの時間

自分の思いつくままに、好きなことを書いています

“カラヤンとフルトヴェングラー”

みなさま、お久しぶりです。
すっかり冬になっていますが、いかがお過ごしでしょうか。
私は、師走に入りバタバタしつつも、この1週間インターネットもつなげない環境下にあったので、
逆にそれを利用して、以前人に紹介してもらった書籍を読破しました。こちらです。

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カラヤンとは、みなさんもご存知、世界的に有名なドイツ人の指揮者です。
フルトヴェングラーとは、ベルリン・フィル音楽監督において、カラヤンの前任者だった人物です。
両者に加え、チェリビダッケというカラヤンフルトヴェングラーの間のキーマンとなった人物がいるのですが、
この本は、1934~1955年にわたるその三人のベルリン・フィルを巡る闘争を描いた物語です。

著者の意向は多少混じっているかもしれませんが、ノンフィクションです。

さて、1934年ドイツと聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。
ヒトラーが首相に就任したのが1933年だそうです。その時代から始まり、終戦が1945年。
この物語は、まさにヒトラー政権下にある指揮者達を描いたものです。

私は、ドイツという国、また、クラシック音楽というものについても知識が浅はかだったため、
この本を読むことで色々と発見がありました。簡単に三つの発見を記します。

まず、第一の発見は、オーケストラとは、指揮者一人が奏でるものではなく、指揮者とオーケストラを構成する団員全員で奏でるものだから、指揮者と団員との人間関係が重要だということ。

当然のことかもしれないのですが、
人間関係という要素がこれほどまでに重要だとは、この本を読むまで気づいていませんでした。つまり、カラヤンは、ベルリン・フィルとの関係がうまく行っていたのですね。(1980年代以降は悪化したそうです。)
確かに、音楽って、人の心がもろ映し出される世界ですもんねぇ。いい関係のほうがいい音を奏でられそうです。

第二の発見は、カラヤンは、才能ある指揮者であると同時に、狡猾な策略家であったということ。

大学時代の合唱部の経験から、私は勝手に「指揮者って『はったり』命なのかなぁ」と思っていたのですが、
ちょっと納得したところがありました。策略家でないと、埋もれてしまうのかもしれません。
才能を持っているだけでなく、それを活かす場所を行動力でもって奪い取らないといけないのかもしれませんね。

第三の発見は、ドイツという国の、ドイツ音楽への誇りの高さ。

ドイツ人であるベートーヴェン交響曲を、ドイツ人であるフルトヴェングラーの指揮でベルリン・フィルが演奏すること。ドイツ語圏のオーストラリア人であったカラヤンルーマニア人であったチェリビダッケ。「ベルリン・フィルの総監督は、ドイツ圏の人でなければならない。」
昔だったからなのか今でもそうなのか、クラシックに対するドイツ人の自国への誇りの高さを痛感しました。
ベルリン・フィル監督については、34年間就任したカラヤンの後は、イタリア人のアバドです。)


この作品で事細かに書かれている、カラヤンフルトヴェングラーの闘争の細かいやりとりや、
嫉妬、権力欲、名誉欲・・・等は、どこへ行ってもどの時代でも同じなんだなぁ、と感じました。
偉い人たちは、そればっかりですもんね。

そんなことよりも、オーケストラの根本部分と歴史背景を知ることができてよかったです。

カラヤンが死ぬまでライバル視し続けていた“フルトヴェングラー”の指揮した作品を聴いてみたい!!
と思いました。