前回の続き。東京国立博物館で開催されていた展覧会からです。
もともと、国立博物館に行ったのは、弟の東京観光の一環で、「対決 巨匠たちの日本美術」の展覧会が開催されているとは全く知らなかったのです。何も知らずにいざ博物館に着いてみると、この展覧会が開催されていて入場に10分待ちの状態。弟と、常設展のみにするかこの展覧会も観るかを相談し、決め手は伊藤若冲でした。
さて、この日本美術に巡り会うきっかけを与えてくれた伊藤若冲の作品を紹介します。
伊藤若冲は、江戸時代の画家とは思えないほど写実的で、芸の細かい絵を描いています。
この鶏の図も、近寄って観てみると、羽一枚一枚が丁寧に描かれていました。
そして、この明瞭な配色。
ここが、異才と言われる所以でしょうか。
確かに、わびさびを重んじて美しい日本美を追求していた当時の人々からは、
伊藤若冲の毒々しいまでの色彩はひょっとすると「悪趣味」と思われたかもしれません。
この鶏の図も、近寄って観てみると、羽一枚一枚が丁寧に描かれていました。
そして、この明瞭な配色。
ここが、異才と言われる所以でしょうか。
確かに、わびさびを重んじて美しい日本美を追求していた当時の人々からは、
伊藤若冲の毒々しいまでの色彩はひょっとすると「悪趣味」と思われたかもしれません。
ちなみに、時代感覚としては、尾形光琳が死んだ1716年に伊藤若冲が生まれたという時代です。
伊藤若冲の同時期に、与謝蕪村や円山応挙がいます。
それを考えてみても、伊藤若冲の、時代を超越した美的感覚、先見の明があったということでしょうか。
伊藤若冲の同時期に、与謝蕪村や円山応挙がいます。
それを考えてみても、伊藤若冲の、時代を超越した美的感覚、先見の明があったということでしょうか。
そもそも、それまで、鳥といえば「鶴」がたくさん描かれてきたというのに、なんで「鶏」やねん?!って。
伊藤若冲は、江戸時代に生きながら、感性は遥か未来の現代アートの感性を持っていたのでしょう。
それまで“美”と言われてきたものを“美”と捉えるのではなく、独自の視点を持ち、
「 己が“美”と感じるものが“美”なのだ。」
そんな声が聞こえてくるような気がしました。
それまで“美”と言われてきたものを“美”と捉えるのではなく、独自の視点を持ち、
「 己が“美”と感じるものが“美”なのだ。」
そんな声が聞こえてくるような気がしました。
これは、毒々しいまでの色合いで、綺麗と言えばそうなのかもしれないが、
何か落ち着かない、どことなく不思議な印象を与える作品でした。
何か落ち着かない、どことなく不思議な印象を与える作品でした。
私は、鳳凰よりも、鳳凰の足元に描かれている、波の描き方が気に入りました。
この画像では小さすぎて見えませんが、
白い波が、髪の毛の天然パーマみたいにクリンクリンと描かれているのです。
波の先が、真珠みたいに丸い雫になっています。
非常に面白い発想だと感じました。
この画像では小さすぎて見えませんが、
白い波が、髪の毛の天然パーマみたいにクリンクリンと描かれているのです。
波の先が、真珠みたいに丸い雫になっています。
非常に面白い発想だと感じました。
一種のイラストですね。
今更ながら、日本美術をもっと知りたいと強く思いました。
時の総理大臣が「美しい国、日本」なんて言ってましたっけ。
その当時は、大して気にも留めず、「美しい国?なんのこっちゃ??」程度でしたが、
今は、日本が昔から守り続けてきた、わび・さびの世界、独自の美的センス、
誇れるものだと思います。
時の総理大臣が「美しい国、日本」なんて言ってましたっけ。
その当時は、大して気にも留めず、「美しい国?なんのこっちゃ??」程度でしたが、
今は、日本が昔から守り続けてきた、わび・さびの世界、独自の美的センス、
誇れるものだと思います。
今後、ゆっくりとマイペースに、日本の“美”を、もっと追求していきたいと思います。